早春、海を巡る九州の旅 2009/3 九州
 

海路、天草へ...

さて、この先の白鶴浜のある高浜というところから海沿いの断崖を行く道路に入る。

ここからは狭く落石もある道路なので注意が必要だ。

さて、そろそろ出発。Z4Mも無事だ。

実はこのフェリーものすごく揺れた。30分で気分が悪くなった。波は激しくデッキは水しぶきが舞っていたけれど、船室は蒸し暑くてよけい気分が悪くなる。Z4Mが心配なほどの揺れだったのだ。

まぁ、なんとかたどり着いたと言う感じ。

富岡で食事をしようと思っていたけど、その気力は無かった...

長崎から天草と言うと、島原からフェリーで熊本へ行ってパールラインか島原の口之津から鬼池航路が一般的かな。今日は長崎の茂木から天草の富岡に渡るフェリーに乗る事にした。

安田産業汽船の茂木航路である。

茂木港はご覧の通り非常に小さな港だった。出航は13:20。一時間前に到着した。

この航路は2006年16年11月に休止したが、2008年4月、再び運航が開始された。

天草と長崎は100年の伝統を持つ航路らしい。

しかし、小さいフェリーだ。搭載車両は乗用車5台又は大型バス1台と乗用車2台。

クルマの乗船は予約が必須らしいが、ボクのクルマ以外はいないぞ?

さて、実際に船に乗り込む。バックでゆっくりと。

ぎりぎり端に寄せるように誘導されたんだけど、他にクルマは乗ってこなかった。

出航直前の様子だが、ボクのクルマ一台だけで出航するフェリーなんて過去無かったなぁ。

13:20 定刻通り出航だ。

船室は蒸し暑くてたまらないのでデッキで過ごす事にする。

やっぱ、なんか船旅ってわくわくするな。

天気はそこそこ。すこし靄ってはいたけど、まぁまぁの天気だった。

富岡城跡が見えた。行った事があるので今日は行かないけど...

この城は三方が海の天然の要塞で、天草四郎率いる一揆軍の攻撃にも落ちなかったそうです。

仕方なく、一揆軍は海を渡って島原の原城に立てこもったらしいのです。「ここを天草四郎が奪えていれば、もうちょっと戦局は変わっていたかもしれないなぁ。」などと考えながら無事到着となったわけです。

富岡の港はすごく雰囲気が良かった。

降り立ったのはボクのZ4Mだけだったし、旅客も4名ほどだった。

港の待合所の前にクルマを止めて、しばらく休んだ。

空は晴れ渡っていた...

後で知ったのだが、茂木は昔から「長崎の奥座敷」ともいわれる町。そして豊富な魚種を存分に味わえる料亭が点在しているそうだ。最初から知っていればここで美味しいものでも食べてみたかった。

フェリーきずな198トンが到着。小さい船だった。

天草灘を行く。

漁船に群がるカモメたち。

荒尾岳(標高342m)に登る林道を行く。

ここは江戸時代に遠見番所があったところで、東シナ海が一望できる。

遥かに霞んで見えるのは雲仙の山々だ。

富岡の港が見えて来た。14:26だった。

天草西岸を行く...

ふつー天草と言うと、パールラインあたりを走るのだろうが、今日は天草西岸の断崖上の狭い道を行くドライブだ。

右に天草灘を見ながら国道389号を南下して行く。

下田温泉を越えたあたりにある素堀のトンネル。なんともいい感じ。

妙見浦に降りて行く。忘れていたが、ここは降りて行ってもあんまり大した風景じゃなかった。

ここの有名な岩礁風景は上から見下ろしてこそ見えるのだ。

道も狭くて急坂なのであえて降りて行くのはお薦めしない。海はきれいだけどね。

妙見浦の南にある十三仏公園に向かった。

ここから妙見浦の妙見岩がよく見える。

これから向かって行く南の方向。

遥か向こうが牛深である。

まぶしい東シナ海。

雲間に太陽が隠れたタイミングを狙って撮影。

これくらいじゃ白飛びしないのが今のデジタル一眼。素晴らしいね。

誰もいないし、気にする事は無いんだが、独り言が多い...


何も無い風景。

どこまでも続く海原と流れて行く雲。まぶしい太陽。

孤独で寂しい旅を愉しむ。